ほぼほぼ
「ほぼほぼ終わってます。」
先週の月曜日に返答された、その5日前に頼んだ仕事の進捗状況。
そして、昨日。。
「ほぼほぼ終わってるんですけどね」
えっっえー
ほぼほぼって何%?
ほぼ自体に大体とか意味があって、それを繰り返してるんだし、一週間で終わらなかったら、何%終わってんのさ。
厄介だ日本語。曖昧な言い回しをする日本語の美学は理解するが、それを現代人が掛け合わせてさらに曖昧にしたことで、混沌と破壊を生んでしまっている。
やっぱりきっぱり断定させることが仕事においては何よりも大事。
そして、今日もほぼほぼの確率で終わっていない仕事の完遂を待つのであろうか。
にわかファンにもなれない
4年に1度のワールドカップ。日本代表は初戦を勝利し、更に盛り上がっていく予感。。
とはいえ、やっぱり馴染めない。普段、サッカーの試合なんて見てないし、どうにも全身全霊で勝利の歓びを表現するのには、恥じやこの時期だけのにわかファンだしという考えが頭をよぎってしまうんだよなー。
ということで、にわかファンにもなれない人でも、にわかファンになれるそんな方法を考えてみる。
1 ユニフォームを着る勇気がないなら、とりあえず青っぽい服を着てみる。
遠目でみたら意外と馴染めるかも。
2 ワンテンポ遅れてでも、隣の人が歓声をあげたら合わせに行く。
どんなにトリッキーなタイミングでも、食らいついていけばなんとかなる。
3 突然肩を組まれてびっくりしないように、常に隣の人は肩を組んで来るだろうと想定しておく。決して、初心者は自分から肩を組みにいかない。
これさえ実行すれば、めでたくにわかファンの仲間入りが出来るかも!
うずくまる
やらない後悔より、やって失敗する恥を選ぶべきだと言う人がいるけど、本当にその通りだと思う。
夕方の商店街の外れは、人通りも少なく自転車に乗ってる人が多いので、人がいるという印象自体が薄い。そんなか歩いていると道の途中で突然うずくまる老人。目の前まで小走りで向かい、「大丈夫ですか?」の「大丈夫で、、」、まで言ってその続きの言葉を言えなくなってしまいました。この老人うずくまったわけではなく、道端の自販機の下に小銭がおちていないか探していただけだったのです。恥ずかしさで慌て前に向き直り、何事もなかったかのように歩きだすと、後ろからは「チッ」という舌打ち。収穫がなかったからなのか、声をかけられたからなのか、確かめるのも怖く振り返ることも出来ず進む歩み。
恥じはかいたが後悔はない。多少のモヤモヤはあるけれど。。
ということもあってついつい買ってしまったシナモンロール!
スーパーで買えるシナモンロールでは最強だと思って買っている。PASCOのシナモンロール。しっかりとした甘味の後にふわっと広がるシナモン香り。コーヒーと合わせれば、何かも忘れられる至福の時に。
しかも、何よりシナモンロール自体の形がうずくまっている人に見えなくもないのである。うずくまっている老人をシナモンロールに見立てて食べるという、結果としては、自分自身の嫌な性格を再認識してしまったが美味しかったのですべて忘れて楽しもう。
スーパー
にんじん、キャベツ、特売の玉ねぎ。近所にあるスーパーマーケットで、カゴという小さな空間の最適化を考えている中で、時々思ってしまうことがある。なぜ、スーパーマーケットの略称は「スーパー」なのだろうか。
スーパーカー、スーパーボール、スーパーサイヤ人、スーパーコンピューター・・・
世の中には、スーパーと付くものは結構あるのに、スーパーマーケットがスーパーという言葉を独占してしまっている。言っては悪いがスーパー感は他のものに負けてる気もしないではないし。例えば、コンビニエンスストアのコンビニという略称においては、他にコンビニエンスを使っている単語などほとんどないんで、全く問題はない。でも、スーパーに関しては、協力なライバルが多い上に、スパコンとかものすごくギュッとさせられてしまっている。これは国民に改めて問いただすべきだ!!
とか、どうでもいいことを空想しながら、今日も袋の中での玉子割らないようにスーパーを後にする。